棚ぼた式ラッキーな右大臣が詠う 〜小倉百人一首第25首〜

名にし負はば
逢坂山のさねかづら
人に知られで
くるよしもがな
〜三条右大臣(さんじょうのうだいじん)〜
いつも当ブログをお読みいただき、
本当にありがとうございます。
初めて訪ねてくださいました方も
どうぞよろしくお願いいたします。
今回は、24首をひとつ飛ばし25首め。
24首は来月アップいたします。
今月は気温の寒暖差で、
GWあたりから珍しく体調崩し、
もちろん仕事は何事もなかったように
こなしましたが、読者様は大丈夫ですか?
生きる上でまずは健康的に
過ごせることが一番。
起業してから初めてのことだったので、
ちょっと油断してたのかなと反省。
一個飛ばしの百人一首は、
この影響を受けてのことで、
詳細は来月にします。
それに、平安時代の繊細で優美な
百人一首の世界に入り込む時には、
現代の雑音は一旦シャットアウト必須。
今月は体調不良の上に雑音多く、
まあまあ大変でした。
人生楽しみながらの修行というところで、
これで経験値が更に増えたことに日々感謝。
ここは百人一首のページですし、
文化を継承し続けている日本と日本人を、
臨終のその日まで私は守ろうと
改めて決意しました。ちょっと大袈裟?
お話を和歌に戻して、作者の三条右大臣は、
藤原定方(ふじわらのさだかた)。
醍醐天皇御代の時、歌や管絃の道で
名高い文化人でありました。
姉は父の高藤が臣籍に降下していた
源定着(みなもとのさだみ)と結婚させ、
定着の父・光孝天皇崩御後、
定着は再び皇族に復帰、宇多天皇となりました。
その皇太子が醍醐天皇です。
そのとき定方の父・高藤は昇進、
定方も右大臣に出世し、
娘を臣籍に降下した定着に嫁がせた
高藤の先見の明と政治的手腕には
驚かされます。
宇多天皇がなぜ一度臣籍に降下したのか、
何かありそうですが、勝敗は時の運、
人生どこで巻き返しが起こるかわかりません。
やはり皇統を追うと、
いろいろと権謀術策が平安時代にも
存在していたんだなと知ることができます。
これは百人一首の世界観とは真逆、
権謀術策が好きな人々は、
世界中に常時一定数存在しますから、
ウカウカしていられません。
そこだけ頭が働く人もいますからね。
ホントに面倒ですけど、
もし面倒なことに嵌められたら、
より良き形でやり返すしかないです。
ヤラレっぱなしなんて
私には有り得ませんけど、
読者様はどうお考えでしょうか。

前置き長くなりましたが、
肝心の和歌の出来映えは、
文化人であった三条右大臣らしい、
言葉合わせの技巧派、
受け手の女性に同等の才気がないと
理解されにくいそうです。
まあ、三条右大臣も、
理解できそうな女性を選んで
和歌を詠んでいたのでしょうけれど。
んーそんなこともないか。
好みの女性か否かですね。
それにしても作品を書く上で、
模様が控えめの料紙ばかりになり、
絵付きで華やかな料紙を
見かけなくなりました。
売れてないのかな?
ここを何とかしたいです。

※皇居東御苑です♪無料で入れますが、
この日は外国人ばかり。我々日本人も
ぜひ行ってみましょう☆
では最後までお読みいただき、
今月も本当にありがとうございます。
また来月もよろしくお願いいたします。
成功文字力アカデミー
西岡恵美子